天は我々を見放した 八甲田山

凍える映画、「八甲田山」の名台詞である。

30年前の映画だが、たまたまテレビで放送されていたのを見ていたが
その映像に引き込まれ、見終わっても1時間ぐらい現実から遠ざかり、冬の青森にいました


八甲田山(はっこうださん)は、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とする映画。1977年公開。東宝シナノ企画製作


あらすじ

友田少将(モデルは友安少将)は、冬期八甲田での雪中行軍の実施を五連隊と三十一隊に提案(実質には命令)した。会議のあとに児島大佐(モデルは児玉大佐)と津村中佐(モデルは津川中佐)はどうせなら八甲田ですれ違う行軍計画にしようと同意する。そして出発前、弘前の徳島大尉の私邸で勉強会を終えた徳島と神田は、雪の八甲田での再会を誓い合う。

しかし、神田の五連隊は、単なる雪中行軍調査のための随員で、指揮権のないはずの大隊本部・山田少佐の容喙による指揮系統の混乱で遭難。徳島との再会を果たさず、遭難の責任を取り、神田は舌を噛み切って雪中で自決する。

その後、神田の遺体は収容されたが、その霊は雪中で徳島を待ち、二人は雪の八甲田での再会を果たす。もちろんこれは過酷な寒さによる徳島の幻想で、後、五連隊の遺体収容所で、徳島は収容された神田の遺体と対面し、神田の妻(栗原小巻)の目前で号泣する。

その後、三十一連隊は負傷者を汽車で弘前に帰した以外は全員八甲田を踏破し生還、五連隊も大隊本部の倉田大尉(モデルは倉石大尉)の引率の下、ごく一部が生還する。山田少佐も人事不省のまま生還するが、後に遭難の責任をとり、病室で拳銃自殺する。

なお、生還した徳島大尉や倉田大尉などの生存者は、二年後の日露戦争中、黒溝台(こっこうだい)の会戦で二昼夜のまず食わずに戦い、戦いを勝利に結びつけ、全員戦死する、という苛烈かつ悲壮な生涯を閉じる。